
人を弔うのは経済的にも心身にも負担が大きい/shutterstock
<両親を早くに亡くし、唯一の肉親だった兄が50代前半で急逝した。残された妹は警察署に兄の遺体を引き取りに行き、後始末を担うことになった>
分かり合うことができなかった家族の死。しかしながら、弔い、後片付けをこなすなかで、思いもよらなかった感情の変化が生まれて......。
「複雑な関係だった家族の死」という普遍的なテーマで共感を呼んだ、村井理子氏によるベストセラーエッセイ『兄の終い』(CEメディアハウス)が文庫(『兄の終い』CEMH文庫)になった。補稿として、5年の時を経ることで気付いた兄への思いを綴った「兄の終い、それから」が収録された。時間とともにどんな変化があったのか?
※『兄の終い』を原作にした映画『兄を持ち運べるサイズに』(脚本・監督:中野量太/柴咲コウ・オダギリジョー・満島ひかり他)は11月28日全国公開
◇ ◇ ◇もうじき水道が止まってしまう
二〇一九年十月三十日水曜日、兄が宮城県多賀城市のアパート内で死亡している状態で発見されたと塩釡署の刑事から電話があったその日から、五年以上が経過し、私は兄より年上になった。私が『兄の終い』(CEメディアハウス)を書いた理由は、おおまかに三つある。
一つ目は、兄の部屋の玄関に落ちていた一枚のオレンジ色の紙だ。それは多賀城市上下水道部から兄の部屋のポストに入れられたであろう「給水停止予告」だった。
「再三にわたり支払をお願いしましたが、お支払いいただいておりません。つきましては、下記の納入期限までに必ずお支払いください」とあり、その納入期限は十月三十一日だった。兄が亡くなったのは十月三十日だったので、投函されたのは二十八日とか、二十九日のあたりだっただろう。
ということは、兄もその紙は見ていたはずだ。水が止められてしまうと心配している兄の様子を想像して、衝撃を受けた。それを書きたいと正直、考えた。
履歴書の兄らしくもない謙虚な志望動機
そして二つ目は、兄の部屋にあった履歴書の内容を読んだことだ(※詳細)。兄は亡くなる直前まで警備員として働いていた。その採用面接に必要だったはずの履歴書は、何枚か同じ内容のものが茶封筒に入れられていた。
「若い方々との現場仕事ではご期待に添えないことも多々あるかもしれません。再起をかけて新人のつもりで気持ちを引き締めて頑張って参りたいと思っております」とあり、うろたえてしまった。若い方々との現場仕事では、ご期待に添えないこともあるかもしれないと、あの兄が書くなんてと驚いたのだ。
兄はどちらかと言えば、リーダー的な性格の人間で、後輩たちから慕われていたと風の噂に聞いたことがある。兄の文章を読むのは初めてだったうえ、どうしてもその仕事が必要だからと、必死になって書いた様子が窺える文章に心を打たれた。こうも人間は変わるのかと感じたのだ。兄の変化を残したかった。
兄の人生に×ではなく◯を増やしたかった
そして三つ目の理由は、兄の部屋の襖に貼ってあったカレンダーだ。仕事がある日には○、ない日には×がつけられていた。兄は亡くなる四日前まで、警備員として働いていた。薄くなってしまった黒いマジックで予定が記入されたカレンダーには、汚い文字で現場の住所や電話番号も書き込まれていた。
目立っていたのは×だ。どの週も半分以上が×で、○は続いても二日だけ。享年五十四歳の兄の、×ばかりのカレンダー。×ばかりだった兄の人生。もっと○を増やしたい。彼の人生の○を記録したい。
『兄の終い』が出版されてから五年以上が経過し、想像もしなかったようなできごとが起きている。中野量太監督による、本書を原作とした『兄を持ち運べるサイズに』が、二〇二五年十一月に公開される。兄が最期の日々を過ごした多賀城市内でもロケが行われ、市民のみなさんの多くがエキストラとして撮影に参加してくださったという。そんな多賀城の人たちからは、時折、温かいメールが私の元に送られてくる。
この大きなできごとを知らせたい両親も、そして当の兄も亡くなってしまっていることがもどかしいが、きっとどこかで、この状況を見て、喜んでくれているに違いない。現状はこんなところだ。ここから先は、兄に宛てたメッセージを書こうと思う。
◇ ◇ ◇【『兄の終い』あらすじ】
寝るしたくをしていた「私」のところにかかってきた警察署からの電話は、何年も会っていなかった兄の死を告げるものだった。第一発見者は、兄と二人きりで暮らしていた小学生の息子。いまは児童相談所に保護されているという。兄の人生を終うため、私、兄の元妻、娘と息子が集まりドタバタ劇が幕を開ける。わかり合えなくても、嫌いきることなど、できない。そんな肉親の人生を終う意味を問う。
村井理子(むらい・りこ)
翻訳家/エッセイスト 1970年静岡県生まれ。滋賀県在住。ブッシュ大統領の追っかけブログが評判を呼び、翻訳家になる。現在はエッセイストとしても活躍。著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう』『訳して、書いて、楽しんで』(CEメディアハウス)、『家族』(亜紀書房)、『義父母の介護』(新潮社)、『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(大和書房)他。
『兄の終い』(CEMH文庫)
村井理子[著]
CEメディアハウス[刊]
(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。