
高度成長期の1970年に開かれた大阪万博で、各国のバーテンダーが腕を競うコンテストが開かれた。そこでグランプリに輝いたカクテルが、大阪・関西万博の会場で13日に閉幕するまでのラスト2日間で提供されることになった。
55年前は貴重だったオレンジが使われ、新たな味が誕生したという。
シェーカーを振るのは、そのカクテルを生み出したバーテンダーの一番弟子だ。
オレンジの生ジュースをたっぷり
「万博といえば省三さんのあれやな」
カクテルバー「サヴォイ北野坂」(神戸・三宮)では4月13日に大阪・関西万博が開幕してから、常連から「サン・エキスポ」(太陽の万博)というカクテルの注文が増えた。
ウオッカに、アプリコットブランデーやオレンジの生ジュースをたっぷり入れた逸品だ。
創り出したのは、小林省三さん(故人)。小林さんは1932年に生まれた。両親を早くに亡くし、高校を中退した。
終戦後は、神戸にあった進駐軍のキャンプで働き、さまざまなカクテルの作り方を学んだ。
夜の街でバーテンダーとして腕を磨き、67年に神戸・三宮に自身の店「サヴォイ」を構えた。
コンテストでグランプリに
大阪万博で、日本バーテンダー協会による「EXPO’70 世界コクテールコンクール」が催されることを知り、参加することに決めた。
コンクールには国内約9000件、海外二十数カ国から計1万件余りの応募があった。小林さんは、本選に出場する30人に選ばれる。このうち、海外からの参加者は8人だった。

どんなカクテルで勝負するのか――。小林さんはまず、サン・エキスポというネーミングを思いついた。輪切りにしたオレンジを付けたカクテルで、見た目を太陽のようにしたかった。
オレンジは当時、高価で貴重だったが大胆に使うことにした。
コンクール当日、トリで登場するとサンバのリズムに乗ってシェーカーを振った。サン・エキスポはロングドリンク部門でグランプリを受賞した。
サヴォイ北野坂でオーナーを務める木村義久さん(79)は、大学を中退してサヴォイで働いていた。小林さんの一番弟子で、小林さんのことを「おやじ」と呼ぶ。
コンクールの時は、舞台裏で審査員用のサン・エキスポを作った。
「当時、あれほどオレンジをたっぷり使ったカクテルはなく、新鮮だった」
弟子も国内コンクールで優勝
その後、木村さんもおやじを目標にコンクールへの挑戦を続けた。
サントリーが80年に開いた国内コンクールに出場。「ソル・クバーノ」(キューバの太陽)というカクテルで優勝した。
ソル・クバーノは、ラムにグレープフルーツを組み合わせた。今や世界各地のスタンダードだ。
サヴォイは世界と日本のチャンピオンがそろってシェーカーを振る店になり、全国から酒通が訪れた。
小林さんはスマートな所作を披露する一方で、冗談やダジャレをよく口にした。お客さんを喜ばせることに一生懸命だった。
「真面目にいちびれる(ふざけることのできる)人やった」
木村さんはそう振り返る。
ところが、95年1月の阪神大震災で店は全壊した。震災の約5カ月後、小林さんは三宮から少し離れた商業施設で営業を再開し、2003年に三宮に戻った。
このころから認知症が進んでいった。06年に店を畳むと、15年に83歳で亡くなった。
「とんかつ乃ぐち」で提供へ
木村さんは02年、サヴォイの「のれん分け」をしてもらってサヴォイ北野坂をオープンさせた。大阪・関西万博の開幕後、万博をテーマにしたカクテルを創作し、店で出そうと試行錯誤した。だが「これは」というアイデアは浮かばなかった。
ミャクミャクのように青色と赤色のカクテルも検討したが、しっくりこなかったという。
そんな折、万博に出店している「とんかつ乃ぐち」の店主から「55年前の偉業を多くの人に知ってもらいたい」と声がかかった。
12日と閉幕日の13日、サン・エキスポとソル・クバーノを計2025杯、とんかつ乃ぐちで有料で提供する。
「おやじも喜んでいると思う」。木村さんは55年間の思いを込めてシェーカーを振るという。【山本真也】
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