
今夏亡くなった日本を代表する洋画家・絹谷幸二氏の壁画が、茨城県日立市十王町友部にある法鷲院(ほうじゅいん)の五重塔に残されている。約35年前、五重塔を建てた先代住職の「塔とともに後世に文化遺産を残したい」という強い思いの結晶だ。
古刹「法鷲院」
法鷲院は平安時代に創立されたと伝わる真言宗の古刹(こさつ)。現住職の大越孝臣(こうしん)さん(53)で55世を数える。
五重塔を建てたのは父親の孝一さんだった。歌手の尾崎紀世彦氏や日本ジャズ界を代表するトリオ「We3」(前田憲男氏・猪俣猛氏・荒川康男氏)、落語家の立川談志師匠らを招いて「寺子屋講座・ジャズと説教の夕べ」を開くなど、型にはまらぬ発想で寺を文化の発信地とした人だった。

その中でも周囲を驚かせたのが、五重塔の建設だった。1989年に約2年をかけて完成させると、次はその内部に壁画の制作を企画した。
当時注目され始めた新進の洋画家だった絹谷氏に、夫妻で直接依頼に向かった。「何事にも果敢に挑戦する父のことですから、面識のない絹谷先生のもとに母と一緒に出向き、熱心にお願いしたのだと思います」と孝臣さん。

90年暮れから制作が始まった。当時、朝日新聞の高萩駐在だった記者も取材した。壁画のねらいについて孝一さんは「塔を建てただけでは自己満足に終わってしまう。そこに現代を代表する文化を入れて、後世に残していきたい」。その上で「五重塔というキャンバスには、魂を揺さぶる絹谷先生の壁画がふさわしい」と熱く語っていた。
一方、絹谷氏は受け入れた理由をこう語っていた。「(自身は)奈良県育ちで、塔は心の主柱みたいなもの。仏さんの世界を基本にした、生きることの喜び、苦しみを描いてみたい」
下絵のまま残された4面の未完成作
五重塔の内部には、絹谷氏が生前に筆を入れた4面の完成壁画と、下絵のまま残された4面の未完成作が並ぶ。
愛する男女、富士と静寂、生命の誕生と3面の慈母、太陽と希望など奔放大胆、生命の輝きが表現されている。五重塔の荘厳さと対をなす豊潤さが印象的で、祈りと芸術が響き合う空間を形づくっている。
五重塔、壁画。次は何をするのかと周囲が期待するなか、93年、孝一さんは交通事故で亡くなってしまう。45歳の若さだった。

孝一さん亡きあと、長男孝臣さんの結婚式で仲人を務めたのが絹谷氏だった。孝一さんの妻恵美さん(75)は「息子の父代わりを務めてくれたのです。それほど夫との絆が深かったということでしょう」と話す。
しばらくして、次男で法鷲院院代の孝生(こうしょう)さん(46)が、個展を開いていた絹谷氏のもとを訪ね、壁画の続きについて相談したことがある。
「先生も当山の壁画を気にかけてくださっていて、『時間ができたらまた描きに行くから、そのままにしておいていいよ』とおっしゃってくださいました」。しかし、今年亡くなられた。「先生も心残りだったと思います。残念でなりません」と孝生さんは言う。

関東でも数少ない五重塔に、日本屈指の洋画家の壁画となれば、注目されることは間違いない。
しかし、孝臣さんは「五重塔には厄除(やくよけ)弘法大師像も安置しており、鑑賞目的の一般公開は考えておりません」と話す。一方で、地域で共有すべき文化遺産でもあると認識し、「今後慎重に公開方法を検討していきたい」と語る。
法鷲院では大みそかの午後11時から元日の午前2時まで五重塔の正面扉を開ける。間近ではないが外からの拝観が可能となる。
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