写真・図版
前回の首里城正殿復元の際に記した手書きのノートを手にする設計士の平良啓さん=2025年12月10日午後0時27分、那覇市、西崎啓太朗撮影

 2019年10月に火災で焼け落ちた沖縄県の首里城で、26年秋の完成を目指して正殿の復元工事が進んでいる。

 復元に貢献しているのが、地元・那覇市の建設コンサルタント会社「国建」の設計士、平良(たいら)啓(ひろむ)さん(71)が大切に保管していた資料だ。

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 首里城の正殿は、15世紀から約450年続いた琉球王国の中枢だった。沖縄戦で破壊された後、1992年に18世紀の姿で復元された。

 平良さんはそのときも設計に携わり、3千枚以上に及ぶ工事写真や、打ち合わせの内容をまとめた手書きのノートを、段ボール箱に詰めて会社の倉庫で大切に保存していた。

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前回の首里城正殿復元の際に設計士の平良啓さんが記した手書きのノート=2025年12月10日午後0時25分、那覇市、西崎啓太朗撮影

 「通常は破棄されたり散逸したりする資料を偶然まとめて段ボールに入れていた。皮肉だが、残しておいてよかった」と話す。

 前回の復元は、86年の閣議決定で実施が決まった。平良さんは当時30代。木造建築の設計は初めてだった。「世間の注目が大きく、プレッシャーでした」

古文書を解読、住民インタビューも

 琉球王国時代の正殿をよみがえらせるのは簡単ではなかった。

 建物の寸法は、昭和初期の1928~33年にあった正殿の大修理を記録した図面で確認できた。

 一方で、琉球王国が解体され沖縄県が設置された明治政府の「琉球処分」を経て、内装は手が加えられていて、昔の姿はよく分からなかった。

 平良さんは内部の間取りや装飾を調べるため、1768年作成の古文書「寸法記」を頼った。琉球史に詳しい琉球大の高良倉吉名誉教授とともに、連日解読に励んだという。

 「琉球史と建築、互いの知識をコラボレーションしたのが前回の復元でした」

 外壁や柱の色合いなど、図面や古文書だけで分からない部分は、沖縄戦で壊される前の首里城を知る住民ら延べ100人以上にインタビューして補った。

 「沖縄戦の時、目の前で建物が焼けるのを見た」と涙を流す人や、「知っていることは全部話すから忠実に復元してほしい」と熱く語る人にも出会った。

 平良さんは「世紀の復元だった。沖縄じゅうが盛り上がっていた」と振り返る。

 約3年かけて得られた情報を同僚数人と手書きで図面に落とし込んでいった。「徹夜続きで苦労もあったけれど、一つずつ決まっていく達成感が大きかった」

 89年に始まった復元工事で、平良さんは監理技術者として現場に常駐した。

 約40万円の高画質のフィルムカメラを自腹で購入し、装飾品を屋根に取り付ける流れなどを細かく記録した。

 92年、設計から6年の歳月をかけて正殿が復元された。「ゼロから設計して工事監理まで一貫して関わったというのが、自慢というか、ラッキーだったというか。だからこそ思いも人一倍です」

生かされた知見

 2019年の火災後の復元で、平良さんは正殿の設計などを再び任された。前回の復元時の資料が入った段ボール箱を引っ張り出して活用している。

 「知見やデータをストックしていたのが、大いに生きている。復元の議論をする上でベースになった」

 装飾品を屋根に取り付ける工程は特に難しかったが、前回の復元時に細かく撮影した工事写真をもとに乗り切ったという。

 今回、正殿を彩る鮮やかな弁柄は、新たに天然の顔料が採用された。正殿正面の獅子や花などの装飾のデザインも見直された。

 「より琉球王国時代に近い正殿が、華やかによみがえっている。防災・防火対策をしっかりして、沖縄独特の文化を伝える首里城を未来永劫(えいごう)に多くの人に見てもらいたい」

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Aストーリーズは、多彩なテーマでお読みいただける朝日新聞えりすぐりの連載シリーズです。首里城の火災が起きた2019年、日本の文化財の防火政策が大きく変わりました。浮かび上がった課題と、対策に動く人びとを追います。

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