
日本で初めて「ミートソース」を提供したとされる新潟市の西洋料理店「イタリア軒」。イタリア人創業者のピエトロ・ミオラ氏の子孫がこのほど初来日し、現在はホテルとなったイタリア軒を訪れ、伝統のミートソースを味わい、明治時代から151年に及ぶイタリア軒の歴史に触れた。
ミオラ氏は明治時代初期、フランスのサーカス団の一員として新潟を訪問。大けがをしたことで新潟にとどまることになり、1874年に西洋食品店を開業した。
食品店は大火により全焼してしまうが、81年に西洋料理店イタリア軒として再出発。時代の最先端を行くレストランとして繁盛し、3階建ての洋館は「新潟の鹿鳴館」とたたえられた。

ミオラ氏は長く店を経営した後にイタリアへ戻り、1912年に82歳で亡くなったと伝わっている。
一方で、ミオラ氏については日本に滞在する前後の生活は長く謎に包まれており、イタリアの食文化を研究する立命館大食マネジメント学部の石田雅芳教授が、ミオラ氏の足跡を調査。その結果、イタリア北東部のプリミエーロ出身だと判明した。石田氏が今年3月に現地を訪れたところ、ミオラ氏の子孫であるサラ・ミオラ氏(29)にたどり着いた。
サラ氏はこれまで、イタリア軒のことは全く知らなかったという。8月27日から新潟市のイタリア軒を訪れ、伝統のミートソースを味わったほか、酒蔵を見学するなど新潟の食文化に触れた。
サラ氏は「イタリアと日本の距離を考えると、どれくらい素晴らしいことだったかわかる。(開業は)151年前のことで大変難しかったと思う。イタリアの文化が感じられて、とてもうれしい」と喜んだ。新潟市民に長年親しまれてきたミートソースについては「本当においしかった」と笑顔を見せた。【神崎修一】
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