2011年9月4日の紀伊半島豪雨では、川の氾濫や土砂災害が相次ぎ、死者・行方不明者が和歌山、奈良、三重の3県で合わせて88人に上りました。
このうち、最も多い29人が犠牲になった和歌山県那智勝浦町では、災害が発生した午前1時ごろに合わせて、遺族や地元の人などおよそ10人が慰霊碑に集まりました。
慰霊碑の前には、犠牲者の数と同じ29のキャンドルがともされ、集まった人たちは手を合わせ、静かに祈りをささげました。
父親とおいを亡くした岩渕三千生さんは「何年たっても当時のことが思い出され、つらい気持ちは変わらない。生きているかぎり、供養を続けていきたい」と話していました。
また、大規模な土砂崩れが発生して8人が亡くなり、3人が行方不明になっている奈良県五條市の宇井地区では慰霊祭が開かれました。
遺族や地元の住民などおよそ50人が参列し、祭壇の前で黙とうしたあと、1人ずつ祭壇に花を手向けて、祈りをささげました。
当時70歳の祖母を亡くした向耕平さんは「何年たっても悲しい気持ちに変わりはありません。これからも参列して祖母に近況報告をしようと思っています」と話していました。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。