第107回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、沖縄尚学(沖縄)が日大三(西東京)を3-1で破り、夏の甲子園初優勝を果たした。

沖縄尚学高校出身のカープOB・安仁屋宗八氏が母校の快挙を祝福した。
安仁屋宗八氏は、1962年夏に沖縄高校(現沖縄尚学高校)のエースとして甲子園に出場した。

RCC野球解説者 安仁屋宗八
「きょうは沖縄尚学のおかげでね。昼ごろからもうずっと野球が終わってから、
電話がかかりっぱなし。もう30件ぐらいかかったんじゃないかな。当時の仲間同士からもうみんなからね、電話がかかってきたんです。これは嬉しい悲鳴ですよ。」

Q母校がついに悲願を達成しましたが、安仁屋さんの今のお気持ちは?

安仁屋宗八
「いやいやもう最高の気分ですよ。それしかないでしょう!僕らが果たせなかった夢を後輩たちが果たしてくれましたからね。もう言うことなしです。
泣きましたね。やっぱり見とって感動した。優勝した瞬間は『やった!』という感想しかなかったんですけど、選手たちを見たら、試合が終わってみんなが色んなところで抱き合っているのを見たら、ちょっと涙もらいましたね。もうね、最近涙もろくなっとるからね(笑)。いや本当、最高の涙でしたね。」

Q夢を成し遂げた後輩たちのことはどう思いますか?

安仁屋宗八
「(甲子園での試合を)3試合ぐらい見たかな。今年の沖縄尚学は"チームワーク"がいい!それが一番じゃないかなと思う。『監督と選手たちがコミュニケーションがよく取れてるんじゃないかな』というのを感じたね。特にピッチャー2人(新垣有絃投手と末吉良丞投手)とキャッチャーのコミュニケーションがものすごく取れていた。『ピッチャーが首も振らずにリードされたまんまに投げ込む』というのがね、できたのが良かったんじゃないかなと思うんですよね。やっぱり野球は、コミュニケーションがしっかり取れないと勝てないもんですから。1人じゃできないですからね。」

Q沖縄尚学の戦い方について、優勝に一番近づいたポイントは?

安仁屋宗八
「やっぱり"打線"。ここぞというときに打ってくれましたよね。今日も4番(宜野座恵夢選手)が3安打。はい彼のやっぱ打撃のおかげで勝てた思うんすけどね。それにピッチャー2人も2年生だから、来年も"夏連覇"という可能性はありますよ。」

安仁屋氏がエースナンバーを背負った1962年、沖縄県勢として初めて"自力"で甲子園に出場。時を越えて、安仁屋氏が抱いた思いとは・・・

安仁屋宗八
「甲南高校が15年前に優勝して、沖縄の野球全体のレベルが上がってきていると思うんですよね。だから沖縄も"優勝候補に挙がるほどの高校"になってきたんじゃないかなという気がしますよ。
僕らの時代はね・・・まず球場がなかったんです。学校の校庭で試合しよったんです。高校2年のときに初めてセルラー球場ができて、それが初めてだったんですからね。僕の先輩で、記念大会で(沖縄県勢で)初めて甲子園に出た首里高校の選手は、ピンポン球で外野のクッション練習したらしいですからね。そんな時代ですよ。」

2023年夏、仲田は沖縄尚学の4番打者としてチームをベスト8進出に導いた。
準々決勝の慶応戦では先制2ランホームランも放つも、試合には2-7で敗れ、当時初のベスト4進出とはならなかった。

仲田侑仁選手
「沖縄尚学の皆さん優勝おめでとうございます。後輩たちの戦う姿に胸が熱くなりました。最後まで諦めないプレーが優勝に結びついたのだと思います。
僕たちの代で果たせなかった甲子園優勝という夢を実現してくれてほんとに嬉しい気持ちでいっぱいです。僕も後輩たちに負けないように頑張りたいと思います!
これからも沖縄尚学らしい野球で、多くの人を魅了し続けてください。」

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