芳井会長の提示した「日常が大きく揺らぐとき、あなたは何を支えにしますか?」という課題に対し、多数の投稿をいただきました。紙面掲載分を含めて、当コーナーでその一部を紹介します。

■逃げない勇気

角川 紗菜(大阪府立富田林高校2年、17歳)

17歳の今、私は正解のない揺らぎの中にいる。親や先生が勧める進路を前に、やりたいことが見えない自分。着実に歩む友人たちへの焦燥が募るたび、答えのない問いが頭を巡る。時には周囲にいら立ちをぶつけ、すべてを投げ出したいと思うこともある。

だが、この激しい心の揺れは決して無意味な足踏みではない。かつてはこの揺らぎを自分の弱さだと感じていた。しかし、迷いが生じたとき、最後に私を支えてくれたのはこの悩み抜いたという事実だった。

一日の終わりにひとり浴槽で大好きな曲を歌い、静寂の中で瞑想(めいそう)する。感情を解き放ち、呼吸を整える中で葛藤し続けるプロセスこそが、他者に流されない自分だけの芯を作る土壌になると気づいた。揺らぐことは停滞ではなく、より良い自分を模索するためのエネルギーそのものだ。もがき続けた経験が、再び立ち上がる力になる。悩むことから逃げず、この揺らぎを糧にまだ見ぬ未来へと歩んでいきたい。

■ひたすら走る

住田 安紀乃(会社員、55歳)

日常が大きく揺らぐとき、私はひたすら走る。それは目に見えない心のもがきを、息が苦しくて自分の足がだんだん動かなくなる「体の悲鳴」に具現化し、崩れそうな今の自分の状況を目に見えるものにするためだ。倒れそうになっても「足はまだ動いている」、走れなくとも「息をしている」。身体的な「生」を実感することで、「まだ私は乗り越えられる」と勇気をもらう。

走ると、頭の中はしばらく自分の身体のことでいっぱいになる。意識は心臓の音や腰の重み、足首への負荷など細部について気を巡らせることに精いっぱいになり、目の前の苦境について考える隙を与えない。この時間が気持ちの切り替えに役立ち、どうやって今から闘うか、冷静に考えられる自分を作り出す。

気持ちがこのような状態になれば、あとは打開策を探すのに明け暮れる。本やインターネットだけでなく、親兄弟や友人に尋ねたり、恩師に連絡したり、「ひとりで立ち向かわなくてもよい」と勇気をもらう。

■幼き日の私を失望させない

清水 未来(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部3年、21歳)

先輩諸氏には笑われそうだが、人生がどんどん難しいものになってきた、と感じる。特に大学生になってからは、一人暮らしや就職活動、人間関係など、自分の意思で決断し動かなければならない場面が増えた。起き上がるのも嫌になるほどの悩みに直面したとき、1人の部屋で自分と向き合うのはとても苦しい。

そんなとき私は、幼かったころの自分を思い浮かべる。まだ大した悩みもなく、世界がどこまでも明るく見えていたころの自分だ。単に無知だっただけかもしれないが、だからこそ、今よりよっぽど大きな夢を描いていた。そんな幼い日の自分を、私は失望させたくないと思う。

これから先、きっと今より高い壁に何度もぶつかるだろう。不安が消えることも、正解が簡単に見えることもない。それでも大きな決断の前には、「これは、幼き日の私が胸を躍らせる選択だろうか」と自分に問いかけようと思う。迷いの中でも立ち止まりすぎずにいられる自分でありたい。

【以上が紙面掲載のアイデア】

■未来の自分が待っている

池田 香蓮(産業能率大学経営学部2年、20歳)

未来の自分の姿を想像し、その自分が待っていると思うこと。それが私の支えだ。

私の日常が初めて大きく揺らいだのは中学1年生のとき。突然、学校に行けなくなった。これまで当たり前のように楽しく通っていた学校が、いつの間にか不安や緊張を感じる場所へと変わってしまった。家にいる時間が増え、自分自身と向き合うことが多くなった。

気持ちの沈んだ自分を放っておくのではなく、何かで支えてあげたいと思ったときに思い浮かべたのは、未来の自分の姿である。中学を卒業する自分、高校生になる自分、大学生になる自分……。未来を想像することで「今の状況がすべてではない」と考えられるようになった。どんなに苦しいときでも、「未来の自分が待っている」と思うと少しずつ前を向くことができた。

それ以来、苦しいときには未来の自分の姿を思い浮かべる。そうすることで、先の見えない不安の中でも未来を信じることができる。

■憧れの人の視点

須藤 貞明(会社員、31歳)

逆境や判断に迫られたときには、憧れの人の視点に立ち、自問自答するようにしている。私にとっての憧れの人は、祖父と父である。「もし祖父や父なら、果たしてどのような判断をするだろうか?」「祖父や父は喜んでくれるだろうか?」といった具合にである。

祖父と父は、ガソリンスタンドを経営していた。当時、私の住む地域で道路整備が進んでいた状況を踏まえ、車の交通量が今後、増加していくと予測。同時にガソリンスタンドを開けば、地域の方々にも利用してもらえ、地元に貢献できるという思いも手伝って、スタンド経営に乗り出した。

時代の流れのなかで、ガソリンスタンドは最終的には廃業することになったが、今はそのガソリンスタンドの跡地を巡り、祖父と父の視点に立って、新たな形を模索しているところだ。これからも、憧れの人の視点に立って考え、逆境があったときや判断に迫られたときの困難を乗り越えていきたい。

そして、祖父や父も納得してくれ、地域の人たちにも貢献できるようにしていきたい。

■偉人の言葉を1つだけ

金廣 省三(会社員、63歳)

数年前に白血病に罹患(りかん)し、絶望の淵に沈んだ。それまで白血病は不治の病と思い込んでいたこともあり、生きることを諦めかけた。幸い抗がん剤治療が功を奏し、寛解を得たが、再発の不安といまだに戦っている。病床にあるとき、私を勇気付けたのは妻のサポートと、インターネットで見つけたマハトマ・ガンジー氏の「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」という言葉だ。

生きることへの不安が消えない中、私にはかけがえのない言葉になった。定年退職までの残された時間に何を成しえるのか常に考えるようになり、新しい資格取得への挑戦などのモチベーションにもなっている。

年始のミーティングで部下たちに好きな言葉を語ってもらった。その時に置かれた状況で大切なことは変わるだろう。しかし今の自分にふさわしい偉人の言葉を1つだけ携え、支えにすべきだ。明快にシンプルにブレないように、1つだけ心に留めておくことが大切である。

■私を励ますのは私

持田 新奈(関東学院六浦高校1年、16歳)

日常が揺らぐときに私が支えにするのは、「プラスに考える力」だ。日常が揺らぐとき、人は皆「考える力」を利用していると思う。しかし、大抵の人は悪いことが起きるとマイナス思考で未来を考えたり、ネガティブな思考に陥ったりしてしまっているはずだ。

そんなときに視点を変えてプラス思考で未来を思い描きたい。あえて、プラスのアイデアだけを紙やスマホのメモに書き出し、アイデアを記憶に残すのだ。プラス思考になり気持ちが前向きになる。この方法で私自身が私の中のプラスの記憶に励まされたことがあった。

大きく環境が変わったとき、マイナス思考で考えがちだったが、前向きな考えだけを記憶に残すことで、気持ちが軽くなったり明るくなったりした。そのような考え方ができるようになったからこそ、今の私がある。最終的に、一番説得力をもって自分を励ませるのは本人が考えたアイデアだと思う。「プラスに考える力」が一番の支えになる。

■経験の棚卸し

田代 恭平(会社員、41歳)

想定外の異動で、会計部門から営業現場へ。頭が真っ白になった夜、私が頼ったのは「経験の棚卸し」だった。武器=分析力、数字、資料づくり。課題=人の感情の読み方、言葉の温度。と、紙に自分の「持っているもの」と「不足」を並べた。棚卸しを終えると、次の一歩が見えた。

会計の知識は提案書に芯を通すための武器になった。半面、課題はやはり課題で、共感不足から商談を逃すことも。そこで、悔しさや反省も「在庫」に加え、人間臭さも学ぼうと失敗の理由を毎回メモした。

今度は、営業現場から経営企画部門へ。現場で拾った違和感や兆しを棚卸しして共有し、机上では見えにくい情報を運ぶ役になれた。一方で、英語学習や社会情勢のインプットは新たな不足に加わった。

棚卸しは、気持ちを整える小さな儀式でもある。だから異動時だけでなく、迷ったら棚卸し、そして動く。次に揺らいでも、また棚卸し表を更新して立て直す。「まだやれる」と言い聞かせながら。

■今こそ、つながりを

阿部 翼(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部3年、21歳)

2011年3月11日、東日本大震災が起きた。当時私は7歳。建物は崩れ、津波が押し寄せ、日常は一瞬にして壊れた。そして、家族と一緒に祖父の大学時代からの友人が住む神奈川県へ避難することになった。

道中、「もう戻れないのではないか」「これから行く先はどんなところなのだろうか」という不安が胸を離れなかった。避難先は広い家だったが、私たち5人家族を迎え入れることは容易ではなかったはずだ。それでもご夫妻は快く同居を受け入れ、私を実の孫のようにかわいがってくれた。温かさに支えられ、不安な日々はいつしか過ぎていった。

この年になってようやく、当時のありがたみを実感している。後日、祖父の友人の方から「うちに来ないか」と連絡が入ったと聞いた。その一言が私たちを救ったのだ。

日常が大きく揺らぐとき、支えてくれたのは人とのつながりだった。人間関係が希薄になりがちな今だからこそ、私は、支え合えるつながりを大切にしていきたい。

■UKロックでリセット

小牟田 成人(会社員、46歳)

好きな音楽が私を何度も支え、復活させる。音量を大きめで聴くと、気持ちがリセットされ、いつでも18歳の自分に戻れる。

90年代の「UKロック」が好きだ。28年たっても変わらない。高校3年生のとき、当時の彼女が大阪・梅田のクラブに連れて行ってくれた。インターネットはなく、毎晩ラジオで「UK新譜」をチェックしていた私は、DJが流す最新の音楽に感動した。音楽情報をメモし、大学帰りに心斎橋のレコード店でそれらを探した。

時は過ぎ、サラリーマンの私は昨年末に梅田の同クラブのカウントダウンイベントに参加した。還暦になってもまだ現役のDJのプレーを40分ほど見られた。流すレコードを必死に全てスマホにメモし、年始にネットで購入した。「あ、手段は変わったが、していることは28年前と同じだ」と笑ってしまった。我々は人工知能(AI)やロボットではないので、何かが起きたときは気持ちの切り替えが最重要だ。自分なりの切り替え手段を持つ事をお勧めする。

■目の前で泣ける人

野間口 遼(会社員、25歳)

私は昔から人に弱みを見せることが苦手だった。試験の点数で負けても、バイトで怒られても、「私は大丈夫」と虚勢を張って笑顔で過ごしてきた。しかし就職して2年目の秋、仕事とプライベートでトラブルが立て続けに起こり、なじみのない土地で一人暮らしの私は鬱手前まで追い込まれた。

私は実家に帰り、淡々と起こったことを話しているうちに自然に涙が出てきて、初めて家族の前で泣いた。泣いているうちに自然と冷静になり、そこから怒りや悲しみなど様々な感情が整理できたので、自分が今できることを見つけられた。それ以来、本当に追い込まれたときに、「自分には涙を見せられる人がいる」という気持ちが大きな支えとなった。

普段人に頼ることができる人には簡単かもしれないが、どんなときも見えを張って平常心を保とうとする自分にとっては、家族や友人など「弱みを吐いて目の前で泣くことができる」存在を大切にすることが、大きな揺らぎがあったときの支えだ。

■周りの人の温かさ

角田 麻紘(会社員、33歳)

2016年4月の夜、大きな揺れで飛び起きた。熊本地震だ。震源地からは多少離れていたため、ケガもなく、家は無事だった。しかし、ガスは止まり、マンションの水道の復旧には1カ月かかった。コンビニからは食料が消え、仕事帰りに市役所に寄り、支援物資と水を徒歩で持ち帰るという生活を過ごした。

大抵のことは「食べて寝て」解決してきた私だが、日常が大きく揺らぐと、その手段をとることもできないことを知った。

そんな過酷な生活の中、支えになったのは、ありきたりだがやっぱり周りの人の支えだった。実家がお弁当屋さんを営む会社の先輩が大量の唐揚げを差し入れしてくださった。「お風呂、入りにおいで!」と声をかけてくださった先輩もいた。遠方に住む中学・高校の同級生も心配していると連絡をくれた。

日常が大きく揺らぐとき、私は周りの人の支えで乗り越えることができた。そして、私も周りの人の支えでいられるような人でありたい。

■言葉の応援団

中澤 梨絵(会社員、33歳)

私の心の中には、言葉の応援団がいる。例えば、大事な試験や仕事を控え緊張したり、人生の選択で迷ったりしているとき、「大丈夫、頑張っていたのは知っているから」「自分の人生なのだから、後悔のない選択をしなさい」という母や父の声が聞こえてくる。

落ち込んだり、心身がつらくなったりしているときには、「へこむのは一瞬、へこんでも何も始まらない」というスポーツ選手の名言だったり、「途中下車も時にはしてもいいから」という好きな歌のワンフレーズだったりが浮かんでくる。

これまで歩んできた人生の中で、どれくらいの数の言葉を耳にしてきたことだろうか。もちろんポジティブな言葉だけではなく、ネガティブなものも含めて、私の精神的な成長を促してきてくれた。これからも、人生の節々で日常が大きく揺らぐときに、言葉の応援団が、応援団の人数を増やしながら登場してきて、きっと私を鼓舞してくれるにちがいない。

■10年の回り道で気づいた「思い」

東 幹雄(会社員、52歳)

私は10年間引きこもっていた。県外の大学に入学したものの、周りの都会的なたたずまいについていけず、下宿から出られなくなった。

まだスマホのない時代。電話線を外して誰とも連絡を取らず、居留守を使い、明日が来ないことを願いながら、じっとしていた。

急に連絡が取れなくなったことで、家族がたまりかねて、引きずるように実家に戻した。音信不通になった私に同級生が連絡をくれたり、訪ねてきてくれたり、手紙をくれたり。でも、その全てに応えず、一切の関係をたち切り、誰とも会わず、誰とも話さず、10年という月日が過ぎていった。

たった1つのきっかけで寛解し、自分を取り戻した今、当時支えてくれた友の存在の大きさに、ただただ感謝の思いが湧き上がった。ずいぶん回り道をして気づかせてもらった。自分から連絡を取り、当時の関係に戻ることもできた。

人が人を思う形が今の私を支えている。

■「居場所」と「確信」

岡田 径子(会社員、55歳)

熊本地震で被災し、当たり前の生活を失った私を救ったのは、「人とのつながり」と「自分の役割」だった。

第一の支えは、仮住まいが見つからない私と母を、おいやめいが受験生にもかかわらず温かく迎えてくれた姉家族の存在だ。また職場では、同僚が懸命に働く私たちに大量のおにぎりを差し入れてくれた。帰る場所があり、苦楽を共にする仲間がいる。折れそうな心を救ってくれた。

第二の支えは、仕事を通しての社会への貢献だ。私は営業職だが、被災者へ保険金を支払う調査業務の応援中に直接お客様から涙ながらに感謝の言葉をかけられ、存在意義を実感した。この経験は私の仕事感を変えた。単なる金融商品の提供ではなく、相手に寄り添い、役立つ情報を届ける。それが巡り巡って自分の心を救うということに気づいた。

このような体験を経て、日常が大きく揺らぐとき、支えになるのは、周囲がくれる「自分の居場所」と、「自分も誰かの力になれるという確信」だと思う。

大和ハウス工業・芳井敬一会長の講評

今回も心を打たれる、共感できるメッセージを多くいただきました。ありがとうございました。

「幼き日の私を失望させない」は、流れるような読みやすい文章の中に、困難を自らの力で乗り切る力強さを感じました。自分は悪くないのにトラブルに巻き込まれ、日常が揺らぐことは、よくあります。そんなときでも、「過去の自分を失望させたくない」と、自分の責任で引き受ける姿勢は見事です。

大和ハウス工業 芳井敬一会長

「逃げない勇気」は、納得する部分が多かったです。私自身、経営者として多くの危機に直面しました。「自分はトラブル処理が得意だ」と言い聞かせ、逃げずに正面から向き合ってきました。

一度逃げても、トラブルはまた追いかけてきます。「逃げずに葛藤するプロセスが自分の芯を作る土壌になる」と、17歳の高校生がこれほどしっかり自分の座標軸、立ち位置を持っていることに驚きました。

こういう姿勢で生きていけば、未来はきっと輝かしいものになると思います。

「ひたすら走る」も拝読して、大きくうなずきました。その昔、ある先輩が「風邪でも悩みでも、たいがいのことは走れば治る」と言っていたのを思い出しました。

何かに一心不乱に打ち込むことで、リセットする。ひたすら走って、汗をかいて、シャワーを浴びて、冷静な頭で困難に対処する。好きなことに夢中になることで、いったん現実から離れる。素晴らしい切り替えですね。

私の場合、舞台や映画、書籍に没頭することで、リセットボタンが押されることがよくあります。映画の主人公の1つのセリフだったり、小説の中の一節だったり、何気ない言葉に何度も助けられました。

日常が揺らいだとき、振り返ると、それが人生の転機になったことも多かったです。乗り越える術(すべ)を身に付けた人の人生は、きっと豊かなものになるでしょう。

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もし現代に坂本龍馬がいたら、こんな感じだったのかな、と思わせるやつがいる。予備校時代の寮で1年間、寝食を共にしたそいつは、やることなすことハチャメチャだが、いつも周囲に人が集まり、笑い声が絶えなかった。

社会に出て困難に直面したとき、よくこう考えた。「あいつならどうするかな」。少しだけ気持ちが楽になった。日常は揺らがないに越したことはないが、それを乗り越えるのは、人生の醍醐味の一つかもしれない。(客員編集委員 鈴木亮)

未来面

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