番組「トップシェフ」は合計10を超すミシュランガイドの星を持つ、そうそうたるシェフたちが指導役であり、審査をする場面も ⒸTop chef M6

フランスのテレビ局M6の人気料理番組「トップシェフ」は、若手料理人の登竜門として知られる。番組では料理人がテーマに沿った料理を作り、著名シェフらが指導や審査を行って勝者を決める。2010年の放送開始以来、30人以上の挑戦者が後にミシュランガイドの星を獲得した。

その「トップシェフ」が25年に放映されたシーズン16で、初めてミシュランガイドと公式に手を組んだ。一般客を装って店を訪れることで知られる「インスペクター」も、審査役に加わった。顔を出さずシルエットのみで登場し、通常のレストラン審査と同様に料理を評価した。

番組内でミシュランの存在感は際立っていた。冒頭では毎回「最終回で選ばれる優勝者は、一つ星を獲得する可能性がある」と高らかにアナウンスされた。重要な審査結果発表の場面では繰り返し、ミシュランガイドのインターナショナルディレクター、グウェンダル・プレネックさんが登場した。司会者などによってインスペクターへの敬意が語られ、挑戦者を指導するシェフらがミシュランの星付きであることも強調された。

インスペクターはシルエットだけで登場。挑戦者がテーマに応じて適切な料理を作成したかを完成度とともに審査する ⒸTop chef M6

番組は大きな話題を呼んだ。SNS上でミシュランが人気番組と組んだことへの賛否がうずまき、創刊125年を迎えたミシュランガイドの今日的意義を多くの人が考える契機となった。

プレネックさんは「番組とは金銭のやり取りは一切なく、純粋なパートナーシップだ」と語る。コラボレーションの背景には「ミシュランガイドは単なるレストランガイドではなく、食文化を伝え、それを育むメディアだという理念」(プレネックさん)があるという。番組で挑戦者に課されたテーマは「4人前原価16ユーロ(約2700円)で美食の皿を作る」「『サントノレ(フランスの定番菓子)』の再考」など。単なる料理勝負にとどまらず、食の現場や、フランス伝統料理の継承や革新について広く伝える意味も持った。

ミシュランガイドはタイヤメーカーのミシュランが「快適な自動車旅行を提供する」ために地図や修理工場、宿泊・飲食施設情報を無料で配布したのが始まりだ。1926年には星による格付けを導入して、食を通じた旅の楽しみを広げた。戦後には世界的な知名度を確立し、フランス料理の発展にも寄与したといっていい。

ミシュランガイドのインターナショナルディレクター、プレネックさん。東京版創刊の立役者でもある=村松史郎撮影

プレネックさんは2004年からガイドに関わってきた。07年の「ミシュランガイド東京」創刊にも貢献し、東京版は国際展開の大きな転機となったと振り返る。現在では世界60以上のエリアをカバーし、35年には100に拡大する見通しで、多様な食文化を紹介する役割も帯びるようになった。例えば蕎麦(そば)やメキシコのタコスなど庶民的な店でも、そのジャンルにおけるこだわりが秀逸で、最高の体験を提供していれば星を授与するという姿勢を貫く。

多くのグルメガイドと異なり、ミシュランのインスペクターは全員が正規雇用。プレネックさんによればレストランやホテル等で7〜10年以上の実務経験があることが必須で、審査のエキスパートが同伴する2〜3年の研修を経て、年間数百回の匿名訪問を重ねるプロ集団である。人数は非公開だが、30を超える国籍から成り、他国での実務も求められることから、国際的かつ多様な視野で食を評価できるという。ちなみに国籍別では日本人が2番目に多いそうだ。

今回の番組の挑戦者15人から一つ星を得た料理人は、予告に反していなかった。とはいえ優勝者は期間限定でパリ郊外にできるレストランのシェフを務める権利を得た。店は開業と同時にほぼ満員となった。

「ル・ボレアル」のオーナーで料理人のネイエさん(右)とジャイエさん。番組参加が2人の料理を大きく進化させた ©_____pepa

挑戦者のうちパリに自身の店を持つシャルル・ネイエさんとフィリピン・ジャイエさんは、「番組を通してクリエーションや技術を磨くことができ、高価格帯コースのみのメニュー構成に変える勇気を得た」と語る。他の出場者との切磋琢磨(せっさたくま)、インスペクターからの詳細な評価、さらに出演する著名シェフによる助言が、料理の方向性を見直す契機となった。2人の店「ル・ボレアル」に通う常連客は、その進化を喜んでいる。

以前はカジュアルなビストロ料理を提供していたが、現在は突き出しに加えて6つの独創的な料理のコースメニューで勝負する ©_____pepa

20年の放送で準優勝したアドリアン・カショさんも、番組が自身の成功を早めたと語る。23年に開業した店「ヴェソー」は当初から予約困難で、25年版で一つ星を獲得した。「ミシュランの仕事は真摯でリスペクトしている」とカショさん。ただし「多くの若手シェフが経営に苦しんでいる現実を忘れてはならないと思う」と指摘する。

30年以上にわたり星付きシェフやレストラン経営者に助言を行ってきた仏ジャーナリストで、スイスの飲食店ガイド「ジュネーブ・フード・ガイド」の監修者・著者のセバスチャン・リパリさんも「特に一つ星シェフが、評価と顧客の期待の重圧で苦しむ」と警鐘を鳴らす。星に見合ったものをと料理のレベルや価格帯を上げるものの店の認知度が追いつかず、収支が合わなくなるといった例があるという。実際、25年版では45軒の降格があったが、うち42軒は一つ星だった。料理評価に基づく降格18軒のほかは、カジュアルな店への業態変更や、閉店とのことだ。

ミシュランでの昇格や降格は多くのドラマを生んできた。星の維持はシェフにとって大きな重圧となり、三つ星の返上や掲載拒否も存在する。情報が瞬時に拡散する時代となったことで、「星の栄光」も業界の抱える課題も、一層際立つようになっている。

プレネックさんは「星付き以外にも優れた店があまた掲載されていることを忘れないでほしい」と語る。ガイドをどう読み解くかは消費者に委ねられている。ガイドも使って食の経験を広げ、生産者や料理人の情熱に感動する――そんな原点に返るべきではないか。私たちが「どう食するか」が、未来の食文化を育んでいく。

食ジャーナリスト 伊藤文

[NIKKEI The STYLE 2025年9月21日付]

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