
灼熱(しゃくねつ)の太陽の下、きらめく超高層ビル群と、中東の伝統文化が共存するアラブ首長国連邦のドバイが、美食の街として存在感を高めている。約200の国籍の人々が暮らすこの地では多様な文化が交わり、斬新で先端的なレストランが次々に生まれている。
2025年5月、インド料理店が世界で初めてミシュランガイドで三つ星を獲得した。店名は「トレシンドスタジオ」。ドバイにある人工島パーム・ジュメイラの高級複合施設「セントレジスガーデンズ」に店を構える。
6卓15席のダイニングに各国からゲストが訪れる。空間は劇場を思わせる設計で、どの席もキッチンの方を向き、ゲストは観客のように料理人の動きを見ることができる。ミシュランガイドは「メニューは独創性と緻密さに満ち、インド全土の風味を網羅した傑作。体験は忘れがたい」等と評した。

メニューは全16品からなるコース「ライジング・インディア」のみ。ユニークなのは、インドをタール砂漠、デカン高原、沿岸平野、北インドの平野、ヒマラヤ山脈の5地域に分け、それぞれにちなんだ料理が提供される点だ。地域が変わるたびインドの地図を持ったスタッフが各テーブルを回り、その食文化について説明してくれる。食事は、インド全土を旅するような体験になる。
「パニプリを食べたことがありますか?」。最初の料理はスタッフの問いかけから始まった。パニプリはインド北部を中心に全国で親しまれるストリートフードだ。薄く揚げた生地「プリ」に野菜などを詰め、ミントやコリアンダーが香るスパイス水「パニ」を注ぎ、一口で味わうのが一般的だが、ここでは「インド料理に欠かせない唐辛子の原産国」としてメキシコの食材を取り入れた美しい一皿になっている。丸いプリの中にはアボカドとメキシコ原産の根菜ヒカマが入り、青プラムとハバネロチリを使ったメキシコ風のアグアチレ(唐辛子水)をパニに仕立ててある。

インド西部の「タール砂漠」地域からは、グジャラート州の伝統料理カンドヴィを再構築した料理が登場。カンドヴィは本来、ひよこ豆の粉にターメリックやヨーグルト等を加えて作るロール状のスナックだが、ここではこれらの素材にマスタードシードや青唐辛子を加え、アイスクリームに姿を変えている。ともに供されるのはオレンジ色の花で覆われた、辛味のない唐辛子のフライ。唐辛子の中にはインド特産のマンゴーを使った2種類のピクルスのペーストが詰まっている。花も含めた食材の彩りや食感、香りが複雑に重なり合う。
ハイライトは、南インド・ケララ州の収穫を祝う祝宴料理「サディヤ」から着想を得た一皿だ。13人のスタッフが次々とテーブルに現れ、1人ずつが客の皿にソースを添えたり、スパイスを振りかけたりといった工程を重ねることで料理が完成する。他にも、コメに見立てた粒状のアスパラガスで北インドのコメ料理を表現した「ホワイトアスパラガスのライス・ノーライス」、ヒマラヤ特産の黒く熟すブラックアップルのアイスクリームなど、伝統に新たな素材と技法を重ねた料理が、一皿ごとにインドへの興味を呼び起こす。

「インド料理はカレーとナンだけではありません」と話すのはシェフのヒマンシュ・サイニさん。「インドは広大で、200〜300キロ移動するだけで文化も言語も料理も変わります。辛さが控えめな料理も多い。インド料理は洗練されて繊細、多くのニュアンスを持つ世界に誇れる料理です」
デリーの旧市街で生まれたサイニさんは、野菜の卸業を営む父の影響で食材に親しんで育った。子どもの頃からチャート(パニプリなどインドの屋台料理の総称)が好きで、新鮮な素材がその場で調理され、熱々でクリスピーに仕上がる様子に心を奪われていたという。この体験はオープンキッチンの原点だ。
多世代が暮らす家庭で「幼い頃から食が栄養だけでなく愛情表現であることを理解しました」。インド国内のインド料理の名店で腕を磨き、14年にドバイに移住、18年にこの店のシェフに就任した。
砂漠の印象が強いドバイだが、水耕栽培や温室栽培が盛んで、ハーブや食用花はほとんど近郊の農家から仕入れている。「ドバイには良い素材が世界中から集まります。高品質なスパイスはインドから輸出されるためドバイの方が手に入れやすいのです」

ドバイ経済観光庁によると、ドバイ市内には現在およそ1万3000軒の飲食店があり、人口あたりの数はパリなどの方が多いものの世界有数。政府は観光政策の要として飲食店に注目し、24年は1200件の開業ライセンスを発行した。「ミシュランガイド・ドバイ」の掲載店は25年に119軒と、初出版だった22年から7割増え、食を目当てに来訪する旅行客が増えているという。ドバイの人口の約8割は外国籍であることから食は多様で、他国の料理に刺激を受けながらシェフらが切磋琢磨(せっさたくま)する好循環が生まれている。
ドバイでトレシンドスタジオのような新たな表現が生まれたのは、伝統的な料理を求める向きが今なお強いといわれるインドとは異なるこうした環境があったためだろう。「ドバイは、ルーツを尊重しつつ前進するという私たちの考えと相通ずる」とサイニさんも言う。「特別な日の外食にこの店を選ぶインド人が増え、インド料理がフレンチや和食と肩を並べる存在だという意識も広がってきた」と実感している。
「私は世界のインド料理のイメージを塗り替えたい。ドバイはこの挑戦にふさわしい舞台です」。伝統を尊びつつ新しい表現を重ね、ステレオタイプなインド料理のイメージを覆す進化を続けている。
ライター 市川歩美
宮武大樹撮影

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