戦後80年の節目に宗教者や被爆者が平和について考える「日本宗教者平和会議in京都・清水寺」が20日、清水寺(京都市東山区)であった。昨年ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員・田中熙巳(てるみ)さん(93)が講演し、核兵器の廃絶を訴えた。

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講演する田中熙巳さん=2025年10月20日午後1時11分、京都市東山区、木子慎太郎撮影

 会議は、全国の宗教者らでつくる日本宗教者平和協議会が主催し、10月の国連軍縮週間に合わせて毎年開かれている。清水寺の元貫主(かんす)の大西良慶(りょうけい)さんが協議会の初代理事長を務め、平和運動の原点に立ち返る意味も込め、初めて清水寺で催された。

 田中さんは1945年8月9日、長崎で被爆した。当時、中学1年生で、爆心地から約3キロ離れた自宅にいた。親族5人を失った。戦後の54年、アメリカによる水爆実験でマグロ漁船「第五福竜丸」が被曝(ひばく)した事件をきっかけに原水爆禁止運動に参加し、2017年から日本被団協の代表委員を務めている。

 講演では「被爆者が求めてきたのは核兵器の使用禁止ではなく廃絶だ」と強調。「核兵器は持ち続ける限り、いずれ使われる危険がある。抑止力として依存する構造が残る限り、真の平和にはつながらない」と訴えた。

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対談する清水寺の森清範貫主(左)と田中熙巳さん=2025年10月20日午後2時40分、京都市東山区、木子慎太郎撮影

 自身の被爆体験にも触れ、「占領下の日本では原爆の実態を語ることも許されず、差別もあった。それでも語り続けてきたのは、同じことを繰り返してほしくないから。私たちの世代はいつまでも語れない。だからこそ若い人たちに託したい」と呼びかけた。さらに「核兵器のない世界を実現するには、若い世代が語り継ぎ、動き続けることが欠かせない」と力を込めた。

 講演後には、真宗大谷派のシンガー・ソングライター・鈴木君代さんによるミニライブがあった。「『宗教者は戦後責任をどう果たすのか』を問う」と題したシンポジウムもあり、聖護院(京都市左京区)の宮城泰年(たいねん)門主や三井寺(大津市)の福家(ふけ)俊彦(しゅんげん)長吏(ちょうり)らが宗教者の役割について意見を交わした。

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ミニライブで歌う鈴木君代さん=2025年10月20日午後2時12分、京都市東山区、木子慎太郎撮影
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シンポジウムに参加した宗教者ら=2025年10月20日午後2時54分、京都市東山区、木子慎太郎撮影

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