
フィリピン中部セブ島を襲ったマグニチュード6・9の地震から、30日で1カ月がたった。ひびが入った自宅には戻れぬまま、余震におびえながら、近くの空き地や公共スペースに寝泊まりしている人々も多い。水や食料が十分に行き渡っていない地域もあり、被災者の顔には疲れがにじみ出ていた。
被害が大きかった島北部ボゴ市では、至るところにテントが張られ、自主避難した人々であふれていた。

約30世帯およそ100人以上が避難する、ボゴ市中心部に近い道路沿いの原っぱを訪ねた。青やピンクのビニール製の布で作った簡易テントや、キャンプ用のドーム形テントの中で過ごしていた。
この原っぱは、避難所として指定されているわけではなく、一帯の住民が自主的に使っているという。料理人のステファン・イナダブさん(21)は、3枚のビニール製の布と細長い木材を使って簡易テントを作った。「材料は通りがかった人がくれたんだよ」。自宅は損壊しなかったが、余震が怖くて家の中にいることができず、同い年のガールフレンドと二人、3週間あまりの自主避難を続けているという。
勤めていたボゴ市郊外の小さな中華料理店は建物にひびが入り、臨時閉店。職を失い、手元に残っていたわずかな油を持ち込んで作ったフライドポテトやホットドッグを売って日銭を稼いでいるという。「一番欲しいのは水。数日に1回、水を売りに来る人がいるからみんなそこで行列をつくって買うんだ」

ボゴ市北端のオドロットは、海沿いの低地から内陸にかけて、段丘上の地形が続く地域だ。ここでは地震によって崖崩れが起きたり、丘の上の家屋が崩れたりした。家族4人で3匹の犬といっしょに自主避難を続けるマッサージセラピストのエドナ・ワーガスさん(45)も、高台にある家が被災。天井は抜け落ち、父の代に造ったという大きな庭が丸ごと崩れた。今は路上にテントを張って過ごしている。ギタリストの夫とともに失職状態になり、貯金を崩す生活だ。
「善意のある人や民間企業がコメや麺をくれますが、足りません。貯金がいつまで持つか不安。早く仕事がしたいです」と話す。長女の大学3年生エイプリルさん(20)は「十分な支援が私たちまで届いていない。政府がお金を適切に扱えば、私たちに食べ物が届かないことはなく、生活の再建ももっと早くできるはずだ」と憤りを隠さなかった。

敬虔(けいけん)なカトリック教徒が多いフィリピン。月曜日は「霊魂のため」に祈りを捧げる日とされる。ボゴ市の西側にあるサンレミジオのスポーツセンターには27日朝、ひと組の夫婦が現れ、10分近く手を合わせていた。
27歳のおい、エルト・ダキュネスさんが犠牲になったという。フィリピン沿岸警備隊に勤めていたダキュネスさんは、市外から訪ねてきた同僚2人とバスケットボールを楽しんでいた時に地震に襲われ、3人とも落ちてきた天井の下敷きになるなどして亡くなった。

「親切でまじめな子で、みんなに愛されていた。亡くなる数日前に親族の集まりがあった。お皿を一緒に洗ってくれて、家族といるのが一番幸せだと言っていた。まだ小さい子どもがいるのに」。夫婦は言葉を詰まらせた。

現地の災害対策本部によると、今回の地震では79人が死亡、21万世帯以上が被災し、いまも2万人以上が避難生活を続けている。フィリピン火山地震研究所によると、10月に入ってからも余震は続いており、数千回に。このうち、体感できる揺れは60回以上に上る。

- (この記事は、取材費の一部をゲイツ財団の助成を受けて作成されました)
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