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<「まだ次がある」と思える人は強い。70代以降の生き方は、身体の変化よりも考え方の違いで大きく変わる。論語から現代心理学まで、さまざまな知恵をもとに人生の「次」をどう描くか>

70歳にもなると心身のギャップが生じやすくなる。作家の楠木新さんは「加齢というブラックボックスが存在感を増してくる。70代に入ったら『5つの寿命』を意識して、それぞれを上手に生かしていくことが重要だ」という――。

※本稿は、楠木新『定年後、その後』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

「論語」が教えるライフサイクルの知恵

長い人生を同じペースで走り続けることはできない。この点については、古今東西多くの著名人が含蓄のある示唆をしている。

たとえば『論語』には、「子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」とある。


15歳で学問を志し、30歳で独り立ちし、40歳で迷うことがなくなり、50歳で天命を理解し、60歳で人の意見を素直に聞けるようになり、70歳になったら思いのままに行動をしても人の道を踏み外すことがなくなるという。

70歳を超えたら、実際のところあまりいろいろなことはできない。好きなことをやるにしても、常識の範囲を超えないようになるということだろうか。それは私にも思い当たることがある。

この孔子が語っている言葉は、老いることを一方的に衰えることだと捉えてはいない点が素晴らしい。むしろ50歳までの人生をさらに積み上げる形で60代、70代を考えているように思えるのである。

インドの「四住期」に学ぶ「遊行期」の生き方

古代インドでは「四住期(しじゅうき)」といって、人生を「学生期(がくしょうき)」「家住期(かじゅうき)」「林住期(りんじゅうき)」「遊行期(ゆぎょうき)」という4つの時期に分けて捉えている。

最初の学生期は25歳くらいまでを指し、師のもとで心身を鍛える期間。続く家住期は25歳くらいから50歳くらいまでを指し、結婚し一家の大黒柱として、あるいは社会の一員として一生懸命に働く期間。

その後の50歳くらいから75歳くらいまでが林住期。それまで働き続けた人もその役目を終え、林の中で瞑想をする期間だそうだ。

最後の遊行期は75歳くらいを過ぎてからで、死に向けて準備をする、いわば「終活」の期間なのかもしれない。

80歳以降は「老年的超越期」

80歳以降はどうか。たとえば人生を8つの時期に分類した発達心理学者のエリク・H・エリクソンは、80~90歳を「老年的超越期」と定義している。

他人との競争が終わり、自分を見つめる時間ができる。叡智が備わるようになり、今までの経験を他者に与えることができるようになる。加えて死の恐怖を乗り越え、人生を振り返ることができるのはこの時期であるという。


実際に80歳を超えた人がこのような境地に至ることは簡単ではないと思われるが、ライフサイクルの最後にそのような期間があると提唱しているところには心惹かれる。

実際に話を聞いていても、80歳を超えた高齢の人が、「○○がありがたい」「○○にお世話になった」「おかげさまで」という言葉を多用して常に満足げな表情をしている姿に出会うことがある。エリクソンのいう「老年的超越期」とはこういう境地かもしれない。

人間の生涯を大きな流れとして捉えるうえで、ライフサイクルの考え方は一定の意味を持つ。ただし現代の生活にそのまま当てはめることはできない。ひとつの指標として参考にし、後は自分で考えていく必要がある。

「まだ次がある」と思うかどうか

何歳でどのような発達段階に達するかは、当然大きな個人差がある。こだわりすぎるのはよくないだろうが、年を重ねる目安として考慮することには意味があるのではないだろうか。

現役を引退した人に『論語』の説くライフサイクルやインドの「四住期」についての感想やコメントを求めると、次の2点を感じることが多い。

ひとつは、『論語』について、「人は成長していく」という前提での感想やコメントを述べる人が少なくない。たとえば、「四十にして惑わず」を聞いて、自分がそこまで成長していない至らなさを嘆くといったことだ。本来は、年代に応じた生き方の議論だが、彼らは成長、発展、向上的な意識で解釈している。

もうひとつ、取材していて感じるのは、その人が「次がある」と意識して捉えているかどうかという点である。

特に「定年後、その後」の年代の人に話を聴いていて、意欲が衰えていて「このまま終わる」という姿勢なのか、これからも楽しいことに出会えて「まだ次がある」と考えているのかは、大きなポイントであると感じる。

「定年後、その後」のステージはフィンガーファイブ作戦で

このように考えてくると、70代に入るあたりに大きな区切りがあるといえる。「黄金の15年」(60~74歳)は、前半の60代後半までの「定年後」と、70代以降の「定年後、その後」とに分けることが妥当であろう。

「定年後、その後」世代では、幸福を追求するにあたって加齢というブラックボックスが存在感を増す。

それを踏まえたうえで、私は、「定年後、その後」には5つの寿命があると考えている。そして、それらを活かすための知恵を「フィンガーファイブ作戦」とネーミングしている。順番に簡単に見ていこう。


「健康」「生命」の寿命

①ホントの寿命

「ホントの寿命」とは、文字通り生命体としての寿命である。何歳まで生きるかということだ。

70歳の人の平均余命は、男性は15.65年、女性は19.96年で、平均で男性は86歳、女性は90歳まで生きる計算になる(令和5年簡易生命表)。比較的長い時間が残されている。

②健康寿命

「健康寿命」とは、健康上の問題で日常生活が制限されない期間のことを指す。厚生労働省が3年ごとに国民生活基礎調査に基づいて算出しており、2022年の推計値では、男性が72.57歳、女性が75.45歳である。中高年向けの健康食品やサプリメントなどのPRではよく強調されている。

実際に70代以降の人に話をうかがっていると、大きな病気や肩・腰・膝の痛み、目や耳の機能の低下などで病院に通い、薬が手放せないと語る人も少なくない。

75歳前後の人を対象としたカルチャーセンターのセミナーで参加者に聞いてみると、3分の2の人が定期的に病院に通っていて、なかには「明日手術を受ける」という人までいて驚いたことがある。

そういう意味では、「定年後、その後」の世代になると、「健康寿命」をなんとか伸ばそうとするよりは、たとえ病気や障碍を抱えても、どうすれば充実した生活を送れるかにポイントがあると考えている。

人生の豊かさに関わる「働く」寿命

③労働寿命

続いて「労働寿命」。これは何歳まで働けるかということを指す。実際に働いていくばくかの収入を得ることができる期間である。

もちろん正社員として働くことだけを指すのではなく、働き方の形は関係ない。定年などで雇用寿命が終了してもその後も労働寿命は続くのである。付け加えると、雇用寿命だけを考えれば50代がピークになるが、人生のピークは定年後以降にあるのだ。


多額の退職金や年金を受け取り、あるいは親の豊富な遺産があるなどの理由で、働かなくても生活できるという人もいる。しかしよくよく話を聞いてみると、資産があって働かないという生き方は楽であっても、それで必ずしも幸せだといえない場合もある。むしろ働かないで済むからこそ不幸になっていると感じる人もいる。

趣味で働くという表現は適切でないかもしれないが、お金に不自由はなくても働きに出ている人は少なくない。いずれにしても労働寿命は、健康寿命、資産寿命、後述する人間関係寿命とも関連しており、働く力があるということは人生を豊かにするうえで大切なことだと感じる場面も少なくない。

「お金」より「人間関係」の寿命が重要になってくる

④資産寿命
「資産寿命」は、老後の生活費を賄(まかな)うために蓄えた資産が尽きるまでの期間。お金をどれくらい持っていて、それがどのくらいの期間続くのかということだ。

⑤人間関係寿命
最後の「人間関係寿命」。これは人とのつながりの寿命といってもよいだろう。

以前の私は、この寿命のことはそれほど頭になかった。ただ今回、新著『定年後、その後』をあらわすにあたり、取材や自身の体験を通じて、人間関係寿命が存在し、なおかつ、70歳を超える「定年後、その後」のステージになるととても大切なものであることを感じ取ったのである。


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※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら。

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