昨年12月、スマートフォンを封印して旅に出た。

 きっかけは、神奈川県版の新年連載だった。取材班で話し合う中で、テーマとして「オフライン」が浮かんだ。

 AI(人工知能)やSNSが生活に深く入り込み、インターネットにつながらない日常など想像できない今、あえてネットから離れた時に人は何を感じるのだろう。そんな問題意識で、各記者がルポを書くと決まった。

 私は「スマホなし旅」に挑戦したが、出発前夜は不安でいっぱいだった。仕事もプライベートも、外出時は地図アプリに頼りきり。それなのに、目的地は当日知らされるというからだ。

 出発の朝、上司から、湖に映る富士山が描かれた旧千円札を渡され、「これを撮ってきて」と言われた。

 初めて時刻表を買った。駅名と時刻の羅列にしか見えなかったが、根気強く見ていくとルートがつながっていく。旅を組み立てる感覚は、スマホで一瞬で答えが分かる時代に、新鮮だ。

 ゴールが山梨の本栖湖だとわかったのは、旅先の居酒屋でおかみさんとの雑談中だった。ようやくたどり着き、使い切りカメラでシャッターを切った時、出発から25時間が経っていた。

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 帰宅後、AIに最短ルートを聞くと10秒で答えが返ってきた。高速バスで約3時間半らしい。1泊2日、甲府まで行った私は、かなり遠回りをしていた。

 「最適解」を見ながら、考え込んだ。スマホがあれば、出発前に「答え」は分かっていた。迷い、偶然に左右され、人との出会いに支えられた2日間は、価値が無かったのか。

 そうではないと思う。旅の途中の光景、会話、笑い声は、遠回りの末にたどりついたものだ。

 検索すれば「分かったつもり」になれる時代だ。私も、現場に行く前についスマホで正解を探してしまう。

 しかし、現場に立ち、五感を総動員して得た「生の感覚」を言葉にすることこそ記者の原点であり、生き残る道なのではないか。ネットで見たような情報を寄せ集めただけでは、ジャーナリズムはいずれ、生成AIに「素材を提供するだけ」になってしまう。

 ルポに寄せられた読者の温かい感想を読みながら、そう感じた。

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