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<証明できればノーベル賞級の成果に...6つの炭素が開く、がん研究の新地平について>

かつて腕一本の「職人芸」だっだ手術。しかし現在、ロボットとAIを味方につけ、外科医療は急速に姿を変えている...。

がん治療の最前線に立ち続けてきた現役外科医が「手術の進化」と次の一手を描いた話題書『変革する手術 「神の手」から「無侵襲」へ』(角川新書)より、第5章「メスのない未来の手術」を一部抜粋編集・転載。


自然界を生きる生物として「がん」を考える

ニンゲンという生物は、37兆個もの細胞が協調する生存活動の成果だ。しかも、腸の中にはそれと同数の細菌が共生している。僕たちは総体として、今の地球の酸素濃度(20%)に適応し、ブドウ糖を主なエネルギー源として、生きている。

がんの別名は「悪性新生物」。よく言ったものだ。径2センチメートルの小さな腫瘍にも数十億のがん細胞がいる計算になる。

最近、膵がんの電子顕微鏡写真をくまなく観察しているが、そこには実に多様な細胞たちが存在し、微小な顆粒で情報交換している様が浮かび上がる。まるでひとつの生き物のようだ。

がん組織だけでなくがん細胞の中に細菌が共生しているという最新研究もある。ヤツらは総体として、ニンゲンの体内、しかも正常な細胞は生きにくい低酸素・貧栄養な環境でしぶとく生存し、増殖し、ついには宿主もろとも滅んでしまう。

がんをひとつの生命体と捉えるなら、自然界全体に視野を広げて見たらどうだろう。一般的には「生きにくい」とされる低酸素・貧栄養環境に適応する生物は、実はたくさんいる。

例えば、土壌や海洋の深部。寄生虫も、宿主体内の低酸素環境に身を潜める期間がある。地球でニンゲンとともに生きる彼らの生存システムを解明することが、がんの「根治」に新たな光をもたらすかもしれない。

さて、僕たちのエネルギー源である「ブドウ糖」。化学的にはD(右)-グルコースだ。一方、構造的にはその鏡像異性体(立体構造が鏡に映したように左右逆の関係にある)である「L(左)-グルコース」が存在しうる。

しかし何故か、今の自然界にはL-グルコースは存在せず、したがって生物はこれをエネルギー利用できない。それが、科学の「定説」なのだ。


「鏡の世界のブドウ糖」をカギにがんの正体に迫る

だが日本には、この常識に挑戦する3人の科学者がいる。ひとり目は、弘前大学の山田勝也先生だ。彼は、ブドウ糖の体内動態をリアルタイムに観察するために、D-グルコースに小さな蛍光基をつけた化合物を開発した。

2人目は、筑波大学の中村顕先生。広大な大学構内の土壌の中から、L-グルコースをエネルギーとして利用できる細菌を発見し、彼らが持つ独自の代謝経路を解明した。進化系統が大きく異なる別の細菌が、また違う経路でL-グルコースを利用できることも確認された。

最後は、北海道大学の奥山正幸先生。自然界から、L-グルコースのグルコシド結合を加水分解する(糖と他の化合物との結合をほどく)酵素を発見した。しかも、この酵素を持つ微生物は、隕石の衝突でできたインドの湖に生息するらしい。

僕は、大学院時代から研究した「蛍光イメージング」を接点に山田先生と知り合ったのだが、この壮大なテーマに心惹かれ、今は患者のがん組織がL-グルコースを利用できるか検証する研究を大阪公立大学(OMU)でスタートさせている。

10億のがん細胞のうち、L-グルコースを取り込むものは0.01%(=10万個)にすぎないかもしれない。しかしこの集団こそ、従来の抗がん剤や放射線治療に耐えて体内で生き残り、あるタイミングで増殖を再開し患者を蝕む「悪の枢軸(がん幹細胞)」である可能性も想定される。

がん細胞や共存細菌がL-グルコースを代謝利用していることを証明できれば、ノーベル賞級の成果かもしれない。

だが、たとえL-グルコースがエネルギー変換されず「取り込まれる(細胞内に入る)」だけだとしても、この現象を利用して「最もタチが悪い」細胞に抗がん剤を送り込む「薬物輸送システム(Drug Delivery System DDS)」を構築できると期待している。

鏡の世界のブドウ糖は、医学という枠を超えて好奇心を搔き立てるが、一介の外科医が扱えるテーマではない。2023年、僕は「三銃士」と連携して「L-グルコース研究会」を結成した。わずか6個の炭素から成るこの低分子をカギに、新しい自然探索のドアを開けるロマンを共有する同志とともに。


石沢 武彰(Takeaki Ishizawa)
大阪公立大学 大学院医学研究科 肝胆膵外科学教授。1973年東京都生まれ。千葉大学医学部卒業後、肝臓手術の権威である幕内雅敏教授の手術を学ぶべく東京大学医学部肝胆膵外科に入局(同大学院修了、医学博士)。パリで腹腔鏡手術の奇才ブリス・ガイエ教授に師事。がん研究会有明病院などを経て、2022年4月より現職。編著書に『完全図解 病院のしくみ』(講談社健康ライブラリー・編著)、『手術はすごい』(講談社ブルーバックス)など。


 『変革する手術 「神の手」から「無侵襲」へ』
 
 石沢武彰[著]
 角川新書[刊]

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